プログラマー2年目の僕がテックブログを始めた理由

2018年12月1日初心者向け, 勉強

はじめまして。

僕は今、新卒で入って2年目のプログラマーです。
まだピヨピヨな状態で、こんな大仰で偉そうなテックブログ(エンジニアブログ?開発者ブログ?技術者ブログ?)をしたためるのは、スキルの高い皆さまや諸先輩社員の方々に非常に恐れ多いです。

でも僕は、はじめました。今はじめたのにはいくつか理由があります。

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プログラム歴=入社歴のド素人だから

まず、軽く自己紹介しておくと、僕は大学まで文系で、プログラミングとはほぼ無縁の生活を送っていました。ゲームが趣味でも工業系な勉強をしたわけでもなく、一応「自作PCを組んだことがある」ことくらいが”こっち側”で通用するアピールポイントでした。

大学卒業するまでの予備知識といえば、高校の授業で習ったCOBOLというオワコンもオワコンなプログラミング言語だけです。COBOLは開発されてから、なんと60年も経つおじいちゃん言語なんです(といっても、事務処理に特化しているのでいまだに行政機関などでは多く使われている)。COBOLは最近人気のプログラミング言語とは色々と勝手が違います。今はもう思い出せないくらい身についてません。

そんな状態で、会社に入ってJavaの研修を3ヶ月受け、その後半年間はC#のデスクトップアプリの保守・開発をし、次の半年はJavaScript+C#のデスクトップアプリ開発、そしてここ半年はJSPサーブレット(Java)でWEBアプリ開発をしています。

ハイスピードでいろんなことが覚えられて刺激的ではあるんですが、僕がやりたかったのはこれなんだろうか。と1年くらい経った頃に思い始めます。

エンジニアは成長が分かりづらいから

IT業界は日進月歩といいますが、文字通りプログラミングは年や月単位で流行り廃りが変わります。人間にとっての読みやすさ、処理速度、コードの量など、不具合修正だけではなく改善や拡張が瞬く速さで行われています。
それとは逆にエンジニアの方は、有名企業でプロパーとして雇われているとか、一人で開発したアプリがあるとか、このシステムは僕が提案したとか、そういう具体的な成果物がないと技術力が見えにくい部分があります。

年数を重ねた先輩に質問をすると、しばしば「あ〜、そういえば昔こんなのやったことあるけど、忘れちゃったなぁ」という回答が返ってきます。大変だったときの思い出話はさんざん思い出せるのに、肝心の「どう対応したら解決したのか」は思い出してもらえません。

昔のプロジェクトのドキュメント(設計書とか規約)が全然残ってなくて、保守なんかで後任になった人が泣きを見るのは、プログラマーあるあるに挙がらないレベルであるあるですが、プログラムの設計書だけじゃなくて、技術や知識も同様です。
インターネットの世界には、無限の情報があるような気がするのに、実際に知りたい情報はどこにもないことはよくあります。そう、先輩の頭の中にはあるはずなのに、先輩の頭をサーチするエンジンは、グールグル回って「ヤホー!」といったかと思ったら、実は1件もヒットしてないんです。

自分の知識・経験のエビデンス(証拠)にするため

こんな記事があります。

エンジニアには二年目病というのがあって、新人時代に見えなかったことが見えてきたり、逆に新人気分が抜けなくて足踏みすることをいうらしい。僕も確かに、2年目にしていろいろなことが見えてきたし、見えなくなりました。

正直な話をすると、入社2年目の僕は、今の会社には長く居られないと思っています。理由は以下3つです。

  • 自分がやりたかった仕事との乖離
  • 中小企業ならではの、大手SIの派遣業務への不満
  • 先輩社員の姿が自分の将来像と重ならない

根本にあるのは1番目ですが、最近一番思うのは3番目です。5年後、10年後の将来像が、会社や派遣先の先輩たちと全く重なりません。これは単に僕の理想が高いわけではなく、みんな「なんとなく10年続けてみたら知識だけ溜まっていた」という顔をしています。主体性があるように思えないんです。
(このブログ、本名でやってるのでこれ以上書くと誰かに夜道で刺されそうなのでこれ以上はやめておきます)

要するに、前述のように僕の頑張りやできる事の証明、証拠(エビデンス)として何かを書き起こすことは大切だと思っているんです。ただ、書き起こした証拠たちをどこで使えばいいでしょうか。必死に聞き込み調査をしたのに裁判がなかったら、弁護士は食べていけません。
そこで、4に続きます。

本当になりたかったのはWEBエンジニアだったから

そうそう、COBOL以外にプログラミング経験がもう一つありました。ブログです。

僕が中学二年生だったので、もうちょうど10年前になりますが、当時はブログやプロフィールの黎明期で、ミクシィに前略プロフィール、その他無料ブログを誰もがやっていました。僕も例に洩れずgooブログで毎日中学生の日常を更新してました(今も残ってますが恥ずかしいので載せるのはやめとこう…)。

プログラミング言語は、入力して処理して出力して、といろいろなステップを隔てた結果、MSゴシックみたいなショボいフォントで「Hello World!!」としか出してくれません。
反対に、HTML言語というのはファイルを作って中に文字を書けばそれだけで一応表示できます。ここの文字を大きくして、ここに画像を出して…という直感的でストレスのない感じが、僕のツボにはまりました。これをプログラミング経験というかは際どいですが。

ブログの延長でホームページを作ったり、ブログのヘッダー背景を画像にしたり(当時はそこまでしてるブログがなかった)、画像加工のノウハウを得ていきました。そうして高校生まで細々とブログを続けたのですが、当時の僕の周囲は「ホームページ作るだけで食っていけるわけない。定職に就け」という風潮が強く、とても進路希望調査で「ホームページ制作」とは書けませんでした。そうして僕は2番目になりたかった公務員を目指して、公務員試験に強い文系大学に入りました。ぶっちゃけこれは失敗でした(後悔はしてません)。

そして、新卒で僕が選んだ道はIT業界でした。選んだ、というより拾ってくれたという表現のほうが正しいかもしれません。
ただ、確固たる理由なく入ってしまったこともあって、一日中座って、たまに誰とも話さない日があって、言われた設計通り・スケジュール通りにプログラムを組む。早く終わっても終わらなくても給料は変わらない。そんな仕事よりも、お客さんの声を聞いたり提案したりして、自分のしたかった仕事がしたい。とすごく思うようになってしまったんです。

WEBエンジニアにはポートフォリオがいるから

大学時代、WEBデザイナーになりたい気持ちもあったので、広告代理店やWEB系の企業のデザイナー職の面接も受けたことがあります。

「文系の方でもデザイナーになる人は沢山いますが、面接では人柄と経歴しかわかりません。私達は適性ややる気を見たいので、できればポートフォリオを持参されると今後の面接に活かせると思いますよ!」と、面接中に涙が出そうになるくらいごもっともなアドバイスを頂いた記憶があります。

その後も就活はうまくいかず、一応内定をもらっていた保険代理店の電話営業も、条件はあまりよくありませんでした。そして大学4年の冬にとある中小のIT企業で、WEB系も希望次第ではいいよ!という言葉とともにプログラマー職の内定をいただき、入社。今に至るわけです。
自分が本当になりたかったのはWEBエンジニア。専門職なので然るべき学校に行ってる人より圧倒的に不利だろうし、でもプログラマー出身なら志望し続けてれば異動できるんじゃ、というポジティブな期待で入社しましたが、そううまくはいきません。

【結論】自分の持つ技術の成果物として書く

ようやく結論ですが、結局ブログというのは教科書でも万人向けの情報サイトでもなく、個人の意見が蓄積された「日記」でしかないと僕は思っています。だからこそ、今の気持ちや今持ってる精一杯の知識を書き続けられたらと思います。

そしてその知識こそを、自分自身のポートフォリオとして、胸を張って転職活動ができればと思っています(笑)

そして最後に、この記事を数年後に読んだ僕が顔を赤くするくらい成長しているのを、今から楽しみにしています。